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1980年 雑誌「プレジャー」より
「LOVEでいこう」と思ってるんだ。
吉田孝光
ボクはアートをやっているんだけど、特にアバンギャルドをやり始めてから丸七年になるんだ。その間、いろいろな体験や勉強になったことが多くあったんだけれど、ハジメの数年は、とにかくオモシロイから作品をつくり続けてきたんだ。でも最近は、いろいろ考えるようになってきて、アートとボクとの関係とか、ア―卜が世界と人々に何が出来るか、アートの役割、ボクの役割、等々とかを思うようになってきたんだ。アートはアートで、それが何かの役にたっているとかと考えるのはよくないという人もいるけど、ボクはそれだけではものたりなく感じてきたんだ。まわりを見ても、何かがそのもの自身のためだけに存在しているというものは見あたらないでしょ。A はA のためだけに存在し、他からは、又は他には関係がないというA はないでしょ。たとえば植物と虫との関係とか、人間と人間との関係とかのように、何かに助けられたり助けたり、又は、何かをくいものにしたりされたりで、それぞれがいろいろな役割をしながら、全体としてある方向にころがっていってるでしョ。
だからアートにも、ボク自身にも何かの役割があると思うんだヨ。役割というと何かやりたくないことをむりやりやるみたいで語弊があるかも知れないけれどナントイウカ、結局それをやればボク自身も一番満足するし、一番やりたいことでもある、そんなことなんだ。そのことが同時に、人々に影響をあたえ、宇宙にも影響をあたえていると思うんだ、おおげさではなくネ。
それでボクはアートを、又、ボクのやることをどんなふうにとらえているかというと、「LOVE でいこう!」と思っているんだ。これはカンタンだけれどもモノスゴクむずかしいんだ。だれでも、どんなムーブメントでもはじめはLOVE で出発したと思うんだ。きれいなものを見て絵をかこうとか、力のない芸術家同士があつまって助け合おうとか、貧しい人々に平等に富を与えようとか、みん
なが自由に働らけるようにしようとか、そんな風にして、画家や美術団体や、社会主義国家や資本主義国家や、等々が生まれたと思うんだ。みんなはじめはLOVE だったんだ。おたがいのためにとか、みんなのために、それが結果的に自分自身のためになると思ってやってきたと思うんだけれど、善があれば悪もあるので、その道の上に悪が、ルシファーがいろいろなワナをかけてくるんだ。
世界への愛で絵をかいていたはずか、名誉欲とかお金とかにスリかわったり、美術団体がただの権力集回にかわったり、みんなのための国が一部の人の国になったりするんだ。
そんな風になったら、なんのために作品をつくっているのか、何のためにみんなか集まって仕事をしているのか、何のために国をつくったのかわからなくなってしまうだろ。そうなれば誰ひとりとしてベターになる人はいなくなるんだヨ。だからいつも気をゆるめずに注意していないとネ、ルシファーは、悪は、スッと入ってくるヨ。
そんなわけで、LOVE でいこうと思っているんだけど、ナカナカむずかしそうだヨ。世の中を見てもLOVE の状態で長くやっている人や集団はすくないみたいだし、地球自身もLACK OF LOVE のためにこわれかけているし、タイヘンみたいだけれど、出来るだけガンバッテみようと思っているんだ。
どんな風にLOVE でいくかというと、作品の場合だけどネ、芸術というのは、ボクらの目に見えたり物質的な場所ではそんなに大きな影響を与えないように思えるけれど、精神的な世界や、宇宙全体に対して、どんな作品でもカナリの影響を与えていると思うんだ。ちょうど地中の状態が地上の生物に大きな影響を与えるみたいにネ。だからどうせ影響を与えるのなら、グッドバイブレーションを世界に送りたいと思っているんだヨ。世の中、こちらをたてればあちらがたたず、あちらをたてればこちらがたたず、とはいうけれど、ボクはこちらをたてればすべてたち、こちらをたてなければスベテだめ、と思っているんだ。おもに相生のサイクルと、相克のサイクルしかないからね、どちらかに入れといわれればボクは相生のサイクルに入るネ。だから世界からグッドバイブレーションを受けたいし、ボクもグッドバイブレーションを送りたいんだヨ。
昨年、みんなで「GOODART 」を作ったんだけど、そんなわけでボクは出来るだけLOVE でやっていきたいな、と思っているんだヨ。なかなかむずかしいけどガンバリます。
それではまたあいましょう。LOVE!
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下記文章は、京都市立芸術大学美術教育研究会の発行する「美・215号」に掲載させていただいた一部分で、GOOD ART についてのところです。
継続という力
吉田孝光
奈良では、毎年3月に「お水取り」という法会(ほうえ)が行われているのですが、これがなんと1500年もの間、応仁の乱の最中や戦国時代の戦乱の中でも第二次世界大戦のさなかでも、今のコロナ禍の状況下にあっても継続されているそうで、その忍耐力と実行力のすごさに感激し、同時に気が遠くなりました。おまけにこの「お水取り」の前段として、我が研究会会員の山河全先生のご実家である小浜市の「若狭神宮寺<写真1>」でくまれた「お水」が、松明行列とともに遠敷川沿いに約2キロ上流の「鵜の瀬<写真2>」まで運ばれ、そこで大護摩供が行われたのち、住職(山河氏のお兄さん)が送水文を読み上げ、「お水」は筒から遠敷川に注ぎ込まれます。そして「お水」は10日間かけて、奈良東大寺二月堂の「若狭井」に届き、お香水を汲み上げ、本尊にお供えするそうです。私のように神仏への信仰心の薄いものにとっては「なんで? なんのために?」と思ってしまうのですが、しかしこれだけの長い間継続されているということは、きっと私の知らない次元の世界で人類や宇宙に対して重要な影響を与えているのではないかと思います。
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1500年続く「お水取り」とは比較にもなりませんが、私も1977年に京芸を卒業して高校に勤務してから退職する40数年間、仕事以外の、やってもやらなくてもよい三つのことがらを、ず~~~と継続して行っています。
一つ目は「GOOD ART」という美術のグループを作り毎年展覧会を行っています。このグループは三美祭(今は五芸祭というらしい)<写真3>で、どのような祭りかと言いますと、昼は試合をし、夜は毎晩コンパで騒ぎ明け方まで飲んで、また朝から二日酔いの、フラフラのままコートを駆け回り一汗かきますと、なぜかみんな不死鳥のようによみがえり、スーパープレーが続発するという若気の至りの、アホウな美大生ならではのイベントでした。そんな破天荒な活動で仲良くなった各大学のバスケット部の仲間たち、それに京芸の友人たちが中心となり、展覧会をしようということになりました。当時の1970年代後半の美術は「もの派」とか、京芸構想設計教室でも本冊子206号にも書きましたように「知的に制作する」ということを理念に運営されていまして、哲学的知識・教養がとても大切にされていました。そのような素養のないヒッピー学生だった私は当然ながらついて行けず、何か制作していてうれしくなるような、生命力にあふれた美術をやりたいと思うようになってきまして、「そうそう、『三美祭』みたいなアホウな(こんなことを言うと他のメンバーからお叱りを受けるかもしれませんが)展覧会をやろう」と思い立ちました。
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第1回GOOD ART展<写真4~6>は私が大学を卒業して2年後の1979年に、京都祇園石段下にありました「サードフロアギャラリー」で行いました。ポスターはイイダ・ミヨさん作の、いま見てもとても新鮮なデザインです。そのときのきもちを1980発行の雑誌「プレジャー<写真7>」に「『LOVEでいこう』と思ってるんだ」というタイトルで書かせていただきましたが、あらためて読みかえしてみましてもほとんどおなじ気持ちです。稚拙な文章でお恥ずかしいのですが少し抜粋してみますと、「前略――だからアートにも、ボク自身にも何かの役割があると思うんだヨ。役割というと何かやりたくないことをむりやりやるみたいで語弊があるかも知れないけれどナントイウカ、結局それをやればボク自身も一番満足するし、一番やりたいことでもある、そんなことなんだ。そのことが同時に、人々に影響をあたえ、宇宙にも影響をあたえていると思うんだ、おおげさではなくネ。それでボクはアートを、又、ボクのやることをどんなふうにとらえているかというと、「LOVE でいこう!」と思っているんだ。――後略」
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![](http://goodartkyoto.sub.jp/wp-content/uploads/2021/12/1979年GOOD-ARTとして「Summer-perfomance」に参加「前田正樹」「前田聡子」<写真9>-1024x768.jpg)
このようなことで歩み始めたGOOD ARTですが、その後、パフォーマンス<写真8、9>も活発に行い、そんな会の波動に共鳴してくださったヨシダミノル氏や堀尾貞治氏(お二人とも元具体美術のメンバーなのが面白いところです)が、その仲間たちを引き連れて合流してくださり、どんどんと活気にあふれた展覧会になり、会場も京都市美術館本館の大陳列室<写真10、11>を中心に行うこととなり現在にいたっております<写真12・12の2>。
ガンジーの言葉に「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」というのがありますが、「明日死ぬかのように生きよ。」というのは軟弱な私にとってとても無理ですが「永遠に生きるかのように学べ。」というのはなんとかできるかもしれません。芸術に対する真摯な姿勢をその後ろ姿から学ばさせていただいたヨシダミノル氏、「あたりまえのこと」というタイトルに現れる、日々の制作はあたかも呼吸するようなものですよという生き方を見せていただいた堀尾貞治氏もすでにお亡くなりになり、残された私たちもどんどんと順調に歳を重ねておりますが、これからも永遠に生きるかのように作品を作り続けて行きたいものだと思っています。
<後文略>
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